これからの人生を祝う、野菜スープ
世の中にはいろんなお料理があるけれど、そのネーミングもさまざまなものがあり、中には「もう少し説明してよ」って料理もある。
例えば「野菜スープ」。
もうちょっと言ってよ、教えてよ、ってなる。
少なくとも僕は。蕪とか冬瓜とかセロリとか言ってもらわないと困りますよって。
これは2020年代的なクレーマー気質なのか、
そういうファジーなものに対して僕自身が寛容でないだけなのか。
じゃあ「肉うどん」は許せるの?とか「魚フライ」はどうなのさ?と野次が飛んできそうなので、この話題は一旦別の方向へ。
でもね、そんなこと言っておいてアレだけど、
「野菜スープ」ってみそ汁的な『やさしさ』がどこかあるよね。
「人生はチョコレートボックスのよう」と言ったのは確かフォレスト・ガンプで、
「人生はクッキーの缶だと思えばいいのよ」と言ったのは『ノルウェイの森』の小林緑だったと記憶しているが、
どちらもそれなりに説得力のある比喩であった。
そして、その言い方は控えめに言って、とても、好きだ。
本当にそうだといいなと思う。
さてさて、世の中には人生をいろんなものに例えた人たちがいて、
甘いお菓子の箱ではなくて「人生は野菜スープ」と題して小説を書いた人もいる。
“シティ・ボーイ”にサード・ウェイヴがあるかどうかは置いといて、
ファーストというか元祖のシティ・ボーイを発信した
雑誌「宝島」や「ポパイ」の連載や、
エッセイ、小説などで1970〜80年代にかけて多くの作品を残し、
若者の文化・風俗に大きな影響を与えた
小説家、エッセイスト、翻訳家などさまざまな顔を持つ片岡義男。
アメリカの生活様式や文化を数多く日本の読者に伝えたこともあって、
「片岡義男で育った」なんて人たちは昭和の時代に多くいたんだとか。
そうそう、その片岡義男の短編集に「人生は野菜スープ」という作品があり、
その表題作としての短編小説が今回のスープのおはなし。
いわゆるボーイ・ミーツ・ガールものではあるが、
都会の、どこか退廃的なムードが漂い、音楽で言うところのマイナー・コード進行とでも言いますか。
* * *
仕事を辞めたばかりで無職の志朗は、
映画館でコール・ガールの美恵子と出会い、
なんとなく会話を交わし、なんとなく距離を近づける。
「好きだ」とか「愛してる」みたいな言葉の交換はなく、
なんとなく二人は“つがい”となり、志朗が美恵子の家に
転がり込むカタチでなんとなく暮らし始める。
当時そんな言葉があったか知らないが(現在もあるのかな?)、いわゆる“ヒモ”である。
ひょんなことから「百万円貯めよう」という些細な目標ができ、
美恵子はコール・ガールとして日に日に預金額を(もちろんタンス預金)増やしていくのだった。
目標の金額にあと少しとなったある日、美恵子から慌てた様子で「今すぐ車で迎えにきて」と連絡を受けた志朗は、
着替えと百万にほど近い現金の入った
コーヒー缶だけを持って彼女を迎えに行く。
どうやら警察の捜査が入り、なんとかパクられずに済んだ美恵子だったが、
このまま帰るところも行くところも無くなってしまう。
そこから二人は逃避行となり、
全てを投げ出し東京から千葉の海まで車を走らせるのだった。
* * *
ここまで読んだ貴方はこう思っているかもしれない。
「おいおい、一体どこが“人生は野菜スープ”なんだ?」と。
そうそうクライマックスなんてものがこの小説にはなくて、千葉の海で泳ぎ疲れた二人がたどり着いた宿で食事をする際に、
志朗は魚を頼み、美恵子はハンバーグを取るのだが、
追加で、「あ、それと野菜スープ」と思い出したように注文し、「あなたは?」と志朗に尋ねて、
物語はそのまま、なんとなく終わるのだった。
行くあてのない二人は、これからどうなるのか。
ここから希望に満ちた新しい二人の人生が始まるのか。
祝祭的とは言えないこの食卓に、
「野菜スープ」が追加された意味は。
そんなことを考えていくと、なんとなく追加されたその「野菜スープ」は、何かの象徴のように思えてくる。
「優しさ」なのか「あたたかい気持ち」なのか、
それは読者がそれぞれの人生と照らし合わせて決めればいいのかもしれない。
最後の余談は、フル・コースで言うなればデザート的なお話として、著者の片岡義男は
10cc(テン・シー・シー)というミュージシャンのアルバムから「人生は野菜スープ(原題:Life is a Minestrone)」
という曲と出会い、そこからこの短編小説を書き始めたというようなことをエッセイに書き残している。
そう、これを超訳というか、
名訳というかは置いといて、「ミネストローネ」が
さらっと「野菜スープ」と味をごまかされているのだ。
割と大きな違いではあるけれども、
この曲をループで聴きながら、この原稿を書いている僕としては
「Life is a Minestrone~♪」とハミングしないわけにはいかないし、
もっと言うとミネストローネが食べたくなってしかたがないわけである。
(文・SNOW SHOVELING店主 中村秀一)