
心と身体をほぐしてくれる神聖なスープ
サリンジャーの代表作とも言われる、この本を今まで手に取ったことがなかった私は、
なんだか申し訳ない気持ちを抱きつつ、その名作を手にキッチンのテーブルに座っていた。
身構えるように1ページ、そして1ページとめくっていった。
思い描いていた印象より、親近感のあるストーリーが進みいつの間にか自分とフラニーを重ねていた。
自分の話ばかりしているボーイフレンドにイラッとしたであろうし、心配をしている母親はウザったく、
そして、どうにか心を開こうと試みる兄にはうんざりしたであろう。
どこからともなく湧いてくるネガティブな感情を拭きれずに、
リビングのカウチに飼い猫を抱き横になっている。
本当に放っといてほしいなら自分の部屋に閉じこもっていればいいところ、
家族の姿が視界に入る(もしくは彼女の姿が家族の視界に入る)リビングにいるところも、
『あぁ、そうそう、わかるわかる』と頷けてしまう。
私はそんなフラニーと重なり合わせていたはずなのに、
いつのまにか彼女を心配する母の目線にも立っていた。
何も口にしない娘をどうしたらいいのかしら?と悩み、息子に相談するも皮肉ばかり。
『美味しいチキンスープはどう?(きっと食欲がそそる香りをさせながら)』と誘うも断られる。
“chicken soup casualty ”『母親が作るスープで治りそうな』という
軽傷の戦線離脱者に向けて使われる言葉があるのを知って、
なるほど!フラニーは彼女自身と闘っている負傷者なのか…と納得した。
心と身体が癒されるはずのチキンスープ。
結局口にされることがないチキンスープ。
私が母ならどんな気持ちでキッチンに立ち、そのチキンスープを作っただろうか。
そんなことを想像しながら、“ユダヤ人のペニシリン”とも呼ばれる
シンプルなのに味わい深い、心のシコリが解れるようなチキンスープをフラニーのために作りたい。
冷たいものを多く取るこれからの季節は、内臓が弱ってきて食欲がなくなってしまう人も多いですが、
丸ごと煮込んでトロトロになった玉ねぎと鶏の旨味の詰まったスープで、心から温まってほしいです。
(文・さわのめぐみ)