【続、おはなしスープ】アイリッシュ・シチューが出来上がるまでの情事

更新日:11月11日

今月の一冊📖

アイリッシュ・シチュー /井上荒野

※短編集「ベーコン」より


アイリッシュ・シチューにぴったりな日があるとすれば、今日みたいな日のことを言うのだろう。起き抜け窓の外を見て、そう思った日があった。


私の暮らすマンションは神社のお社の裏手に建っていて、リビングの窓からは大きな桜の木が見える。すでに葉の落ちきった枝には、明け方まで降っていた雪が白く積もっていて幻想的で、ときどき、重力に耐えかねた枝がバタン、バタンと雪を落としていた。遠くで踏切の閉まる音が鳴って、電車は動いているとわかったけれど、自分だけが世界とぷっつり切り離されてしまったような、そんな朝だった。

こんな日だったら、どこかで猫が突然姿を消してしまっても、アイリッシュ・シチューが出来上がるまでの情事があったとしても、不思議じゃないと思った。どんな非日常なことも許されてしまうような、静かな開放感があった。


井上荒野さんの短編集『ベーコン』に、「アイリッシュ・シチュー」という物語がある。

主人公の〈私〉はごく普通の専業主婦。夫と二人の子供との暮らしが平凡であっても健やかに続くようにと、毎日本当に、よくやっている。

母親から受け継いだ料理本を頼りに料理を覚え、同じ食材を使ったとしても前日と異なる献立をテーブルに並べる。夫と子供たちが会社や学校へ出かけても、けっして家事の手を抜かず、飼い猫の姿が見えなければ躊躇なく長靴を履いて雪の残った外に出る。

だから彼女が、家事の合間に名前も知らない青年と関係してしまう展開は、普通に考えれば非現実的だし、そのとき作っていたアイリッシュ・シチューだって、夫と子供のためのものだったことに、嘘はなかったはずなのだ。


“大きな寸胴鍋に、塩胡椒した豚肉を敷き詰め、その上に玉ねぎ、その上にじゃがいもを重ねて、水を張り、月桂樹の葉を二枚。あとはとろ火で二時間も煮込めば、アイリッシュ・シチューはできあがる。

鍋を火にかけてしまうと、それでもうすることはなくなってしまい、私は再び、長靴を履いて外に出た。“


しかしこんな風にして、主人公は青年を家に連れ込んでしまう。

火にかけた鍋の役割が、青年の冷えた体を温めるためのものへと静かに変わる瞬間はおそろしく、台所で立ったままの短い性交をするふたりから、性の匂いが立ち上ってこないのも不気味だ。そもそも、〈することはなくなってしまい〉といって出た行動の大胆さにも驚いてしまう。

そんななかでもアイリッシュ・シチューは美味しく出来上がり、猫も無事戻ってきて、家族で囲んだ夕食はとてもにぎやかだった。青年との秘密は守られ、彼女は主婦として完璧な一日を終えた。

事実として残ったのは、それだけだった。


けれど私は、もしかして、と思うことをやめられない。もしかして、彼女が見せた「本当の顔」は、青年との束の間の情事の方にあって、それ以外のいっさいは、与えられた役割を演じているにすぎないのではないか。

だって彼女の主婦業はあまりにも完璧で、つくりあげた家庭はどこか嘘っぽい。だとすると、〈することはなくなってしまい〉といって見知らぬ男を連れ込む大胆さこそ、彼女の本質なのではなかったか――。

やがて溶けてなくなる雪と、愛する家族を温めるアイリッシュ・シチューが揃ったその日、彼女をかりそめにでも大胆にさせるには十分すぎる条件が整っていた。


(文・文筆家 木村綾子)


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次回の「続 おはなし、スープ」は、

2023年4月を予定しております。お楽しみに♪



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